いじめと先生

ここ最近、秘書業務に復帰してからなかなか自分の時間が取れなくなりました。
…といっても、秘書業務に追われて時間が無くなったわけではなく、拘束時間が長くなったから、という感じですかね…(笑)
必然的に自分の時間は無くなりますが、現在の仕事というか環境が最適すぎて、とても気に入っています。
詳細は省きますが、カウンセリングに通じる部分がかなりあり、とても興味深い内容に触れながら「需要・共感・自己一致」で仕事できるので、最高ですね(笑)
業務にも慣れてきたので、これからもまた細々更新していきたいと思います。
…と前置きはこれくらいにして、先日「いじめ」と「教師」について取り上げたテレビ番組を見ました。
Quaraを見て、このページに飛んできてくださっている方は、私が同級生をいじめで失った経験を持っていることをご存じの方も多いかと思います。
私は、ほとんど知らなかったとはいえ、いまだに重い十字架を背負っており、亡くなった彼に対して恥ずかしくないように生きていかねば、と年を取るごとに思っています。
息子の学校でいじめと思われるような事件が起きた際は、先生たちと積極的に対話を持ち、当時の(私の)卒業文集を参考資料としてお渡ししたりしました。
ところが、番組を見て当の先生は「静かな老後を送りたい…」と取材を拒否されたそうです。
…事件当時、どちらかというと私は先生たちに同情をしていました。
でも、親となった今。その言葉はあまりにも軽い…
直接的ではないにしろ、子供を一人死なせてしまった。
そしてその原因の多くを占める人が、自分の安定を求めてしまう…
詳しい状況は分からないし、仕方ないかもしれないけれど…。
数年前、息子が小学校でトラブルにあった際、学校はすぐに動いてくれました。
その時の校長先生は、本当に優しい、そして心から心配して労わってくれている目で息子を見つめ、「何かあったらいつでもおいで」と言ってくれました。
嘘偽りのない、誠実な態度で息子と対峙してくれました。担任の先生も、相談してすぐに動いてくれましたし、私や息子の話にきちんと耳を傾けてくださいました。
そして思ったのです。
自分の事件当時の先生とはずいぶん違うな…と。
息子がこの校長先生のいる小学校に通えて本当に良かった。
半面、亡くなった彼も、こんな校長先生のいる学校であれば、誠実に向き合ってくれる先生がいれば、もっと違った結果になったのではないか…。
久しぶりに見た彼の写真は、まだあどけない。
まだまだ子供で、誰かが助けてあげるべきだったのだ…
ちょっとした巡りあわせで、人生は大きく変わってしまうのですね。
息子の時の校長先生は、その後、健康を害されておやめになってしまったようで…娘もお世話になりたかったので、本当に残念でした。